断捨離で不用品に触れて思ったこと。「べき」「ねば」の囚われを手放した。幼い自分を思い出すプロセス。

断捨離中のあやみんです。

毎日毎日、捨てれば捨てるほど、要らないものが出て来ます。

ほんまに、湧いてくるみたいに出てくる。

どんだけ要らんもの持ってたんだろう。

リサイクルショップにドカンと持ち込んで処分しても

また帰りの車の中では

「あ、あれ放そう(ほかそう:関西弁)」

って出てくる。

んで今、手こずってるのは、

掃除したいところ、汚いところとか埃が溜まってるところとかが超目につくようになった。

掃除が苦手で

どうでもいいと思ってた私が気になって夜になっても掃除してる。

これは恋人がくるから、というのもあるけど

それだけじゃない気がする。

断捨離が始まってから明らかに私の心の内は変わったと思う。

ばーちゃんグッズ

奈良の実家の隣に母方の祖父母の家があります。

祖父母は亡くなり、妹が住むことになり

家財道具いっさいを業者にお願いして

処分することになりました。

妹「姉ちゃんいるやつあったら持って帰ってな」

私はそれを聞いて、今から思うと

大好きなおばあちゃんの使ってた食器とか欲しい、だけじゃなく

「おばあちゃんの意思を継がねばーーーー!!!」

って思っちゃったんです。

だからたくさんの物をおばあちゃんの家から持って帰って来ました。

(母と確認したのは、おばあちゃん→母→あやみに完全に連鎖してるねw)

おばあちゃんもいっぱい物持ってましたわー。

まあ戦争を体験した人ですから、なーーんにもないところから生活していたのです。

しゃーないです。

でもね、

おばあちゃんはおばあちゃん、私は私。

違うのです。

私がおばあちゃんを生きようなんて

めっちゃおかしいのです。

私は私を生きるのです。

苦しくても楽しくても私を生きるのです。

私として生きることがいっちゃん意味があるのです。てかそれ以外はないのです。

 

て、おばあちゃんの物を整理しながら思いました。

自分を思い出す

でもね、おばあちゃんの物たちはやっぱ愛おしくて

それは私の素直な感情です。

食器とか超センスいいものもたくさんあるし、

きちんと数を揃えて保管してあるから

使える。

超萌え〜って感じのする、小さな湯のみ10ケとか(昔は親戚がよく集まったので数が多い)。

ガラスの食器とか。

お重箱とか。

でっかい土物の花瓶とか。

さすが政江おばあちゃん、センスいいなあ、って思いました。

料理も上手で、お正月のおせちなんかすんげー豪華だった。

年末は祖父母で正月準備してやったなあ、、。

私は、正月の時に出てくる大きなちゃぶ台を拭いたり、お箸を並べたり、取り皿を準備したりお手伝い。

宴会が始まると、ちゃぶ台でにぎわう親戚と、台所で忙しく働くおばあちゃんの間をお運びしてた。

疲れた時はおばあちゃんのエプロンに飛び込んでぎゅーってしてもらったなあ。

頭なでなでしてもらったなあ。

全然ゆっくり座って食べないおばあちゃん、

今の私みたいw

損得を手放す。

要るもの、要らないものを整理して

要らないものを売ろうかと思った。

レトロなグッズは

メルカリが高く売れるんだろうか

ヤフオクの方がええんだろうか。

フェイスブックで呟いたりしてみた。

けど、たくさんあるものたち

カラトリーもすんごく可愛いけど、頑張ってもサビが取れなくて

売るのにどうしようとかいちいち時間がかかる。

なんかやってるうちにあほらしなって

「ええわ、全部リサイクルショップや」

って思った。

だって、私はハーブティーも作りたいし、庭の手入れもしたい。

ここで不用品の金額の損得考えてることに、超違和感を感じた。

ちょうどその時にフェイスブックのお友達も

「感謝してお別れ」

という言葉をくれました。

腑に落ちました。

 

それから冒頭の

「おばあちゃんの意思を継がなきゃー」

って思ってたなあ。

って思い出したのです。

それって、全然違うやん。

てことで

リセット。

大黒様

この大黒天はお気に入りなので玄関に置いてるよーー!!!

イエーーーーーーーーーーーーーーーーーーイ!!!