大学を出て就職した会社を一週間で辞めた。
地元でハローワークに行ったりしていた。求人チラシに出ていた特別養護老人ホームの事務のバイトに就いた。一年間の契約。ちょうど介護保険が始まった平成12年だった。そのあと、県外で同じような事務の仕事に就くがなかなか続かなくてすぐお金がなくなった。お金がなくてイライラしていた。お母さんも心配していたと思う。なんかわからない圧力を感じていつも申し訳ないな、と思っていた。
些細なことからお母さんに暴力をふるった。お弁当箱を出してなくて、お母さんに叱られて(23のくせに)キレてしまった。お母さんの肩を強く押して「なんやねんおまえはーー!!」とか言ったんかなあ。もう真っ白であんまり覚えてない。お母さんがこけたりしなくてマジでよかった。そのあとのお母さんは怒りがすごくてすぐお父さんの会社に電話していた。それを二階の自室で、震えながら聞いていた。家を出ようを思った。
でもお金なくて出れなくてしんどかった。家族の夕食に参加しなくなった。バイト帰りに買ってきて食べたり、がまんしたり、けど妹がラップにご飯とおかずを包んで持ってきてくれた。たぶんお母さんににらまれながらも持ってきてくれたのだろう。いっつも夢中で食べた。本当にこのころしんどかった。
彼氏がいたが人に言える恋愛ではなかった。でもそこに癒しを求めるしかなかった。
今考えたら「自分」がなかったなーって思う。
大学時代の友人が今勤めている会社の求人を教えてくれて就職した。妹が家を出て一緒に住もうと言ってくれたので家を出た。引越し費用とかしんどかったけどおばあちゃんがお金をくれて家電とか買えた。
そして2か月のバイト期間を終えて正規職員になって夜勤もするようになってお金は入った。残高があるとすごく安心した。そのころの手帳に、この会社どんなつらいことがあってもやめないでおこう、って書いていた。
お金はあるけど満たされない、使い方がわからない状態が10年以上続く。
ワクワクがないのだ。もちろんお金があったから旅行とか行けたしそれはとても良かった。
けどなんか違う。
おばあちゃんが亡くなったあと、昔私たちやお母さんがプレゼントしたものが新品のまま出てきたらしい。
お金は使っちゃいけない。贅沢してはいけない。生活に必要なものしか買っちゃいけない。
お母さんもそう育てられたのだ。
確かにおばあちゃんは子供たちにお金を十分残して亡くなっておばあちゃんにとってはうれしいことかもしれない。
今の私たちもそうしなければいけないのか?
私には子供がいない。もう根本的におばあちゃんとは違うのだ。お母さんとも違う。
私は私の人生。妹は妹の人生。弟は弟の・・・
みんな、違う。
頑張って一緒になろうとするのは不毛。違うから。
だから、えーと、、
気づけたから、次に進もう。
▲私の手